さようなら、富士高原サーキット



2002年1月にとてもショッキングなニュースが舞い込んだ。
あの「富士高原サーキット」の閉鎖というものだった。
景気低迷の煽りを受けたレジャー産業。中でもゴルフ場経営は非常に厳しい昨今、
サーキットの経営元?である富士高原ゴルフクラブも経費削減、構造改革でも行ったのか・・・
とにかく、サーキットは閉鎖となったようだ。
木々を抜けて走るデルタカップのロケーションとしては最高なステージであり、
家族同伴のピクニックも可能である、非常に貴重な場所だった。
まさかサーキットが無くなるというケースは私も想像はしてなかった。

ありがとう、富士高原。
そして、SLYへの新たなステージの幕開けとなったデルタカップ・・待ち遠しいものです。

以下にエッセイを書いてみました。


「女神の微笑み」

戦う場所には、女神と魔物が存在する。
私にとって、富士高原には女神がいた。
いや、そう信じて毎年走っていた。
もちろん富士高原でつい魔物に会ってしまい、車を壊したり、
大けがをしてしまった人もいた。
そんな辛いことがあっても、また富士高原に仲間は集う。
そんな女神の優しさがあふれた場所だった。

験(ゲン)が良い場所という意味で、私は富士高原が好きだった。
それは、その女神が頑張った人には必ずご褒美をくれるからだ。

私は、去年の夏、苦難を乗り切り何とか参加に漕ぎ着け、
心に残る「想い出」をプレゼントしてもらった。
また、ある人(主催者の一人)は最期に(結果的だが)ご褒美を
もらえたりした・・・
思い起こせば切りがない。

本当に、富士高原には毎年ドラマがあった。
毎年ドラマを期待して富士高原に集う自分が好きだった。

将来のお父様と会って冷や汗をかきながら苦笑している人。
将来のパートナーと一緒に最後のレースを過ごした人。
七夕の様に、年に1度会うカップル達。
一人一人の心に、夏の想い出として富士高原は存在していた。

そんな富士高原はもう無い。
富士高原の夏。
一生忘れることはないだろう。

富士高原にいた女神は、次はどこで会えるのだろうか?
きっと、またどこかで、みんなより頑張った人だけに
その微笑みを見せてくれるのだろう。

女神の微笑みが、あの夏の想い出を鮮明にする。

音を立てて開くゲート。
エントランスの悪路の穴。
朝霧の中の湿ったアスファルト。
蝉の鳴き声。
雨漏りするカレーハウス。
夜中は真っ暗なトイレ。
星空の下でのB&Q。
ランプに群がる蛾の大群。
古ぼけた表彰台。
シャンパンの香り。

みんな懐かしい。

目を閉じて、耳を澄ますと
上のヘアピンを曲がるデルタのスキール音が聞こえたような気がした。

By 北方 史象



メニューへ(Event Menu)